トップ > 浮島とも子ストーリー
豊かな未来の創造を続ける

負けずぎらいの少女、誕生。

わずか2歳半でバレエをはじめ、日々練習を励むことで、
「自分に負けない強さ」を身につけ、さらに着実に才能も開花させた。
19歳の時に「香港ロイヤルバレエ団」から招聘を受け、単身で香港に渡りプリマバレリーナとして活躍。

その後、活動の拠点をニューヨークへ移すが、ビザが発行されないために仕事ができず、経済的に困窮した日々が続く。
しかし幼い頃に育んだ「自分に負けない強さ」を支えに、挑戦を繰り返した結果、名門「デイタンバレエ団」に電撃入団。再びプリマバレリーナに抜擢される。

負けずぎらいの少女、誕生。
「KOBE!へ」決断と退団。

「KOBE!へ」決断と退団。

1995年1月17日。
ニューヨークで阪神・淡路大震災が起こったことを知り、心に衝撃が走る。
その後、日本に一時帰国すると、すぐさま神戸へ。
「空き地だらけの廃墟の街」、「深い悲しみを抱えながらも、生きようとする被災者」こうした光景はニューヨークに戻っても、頭から離れることはなかった。
傷ついた神戸の街、心の復興のために何かしたい一心でバレエ団を退団し、帰国することを決断。1996年11月には、ボストンバッグ一つで神戸の地に立った。
当時、日本人では稀なプリマバレリーナの地位や名誉を捨てたことで世間を驚かせたが、脇目もふらずに震災孤児の慰問や、子どもたちに歌、ダンス、演劇を指導する、ボランティア活動を続けた。

そして1998年には、劇団「夢」サーカスを設立。
全国を公演に歩き、企業やボランティアに支援を呼びかけた。

関西をブロードウェイに。

浮島の行動に心打たれて、支援するボランティアはいつしか数百名に。さらに「教育には、文化・芸術が欠かせない。子どもたちに”本物”に触れさせて、豊かな心を育みたい」という思いを実現するために、公明党が中心になって制定した「文芸術振興基本法」が2001年12月に施行された。

この推進に自身の大きな使命を確信し文化・芸術の力で、”日本の未来(あした)をプロデュース”しようと、政界への挑戦を決意。

「関西をブロードウェイに」と語り、行動する夢は今も続いている。

関西をブロードウェイに。
sp
sp