2004年7月11日、参議院議員選挙で77万3749票を頂き、初当選させて頂きました。17日間の選挙戦の間、声を振り絞って、文化芸術の大切さを訴えきって迎えた投票日でした。当日は、京都の事務所で開票速報を見守りました。 「浮島とも子さん、当選確実です」とのアナウンスが流れた時、それまでの疲れが吹き飛ぶ感動が全身を貫きました。一緒に選挙戦を戦って下さった皆さんが口々におめでとう、おめでとうと言って下さることが本当にうれしくて、 ありがとうございます、ありがとうございます、と心から御礼をお伝えしました。この日から私の参議院議員としての日々がスタートしました。
7月30日、初登院の日、一緒に当選した方々と初登院しました。議員バッジを頂き、議員会館のがらんとした事務所に入り、椅子に座った時、自分が本当に国会議員にさせて頂いたことを改めて実感しました。と、同時にこれからがんばるぞという闘志が湧き上がってくるのを感じました。
国会議員の役割は、国民の皆さまの声を国政に届けることです。その舞台が、国会の本会議や委員会での質問です。この6年間で政務官としての答弁も含めて70回、国会で発言させて頂きました。実は、国会での質問の機会というのは、それほど多くはありません。大きな政党であればあるほど議員の数が多いので、質問をする機会はなかなか回ってきません。しかし、小さい政党では、議員の数が少ないので委員会の度に質問をすることができます。それだけ多くのテーマを取り上げることができ、多くの国民の皆さまの声を国政に届けることができます。
私は参議院の文教科学委員会のメンバーにさせて頂きました。初質問は、2004年11月2日でした。この時は、子どもたちが文化芸術に触れる機会の拡充、学校敷地内の禁煙化、修学旅行生の優待席の設置、小学校での英語教育の実現でした。この質問から私の取り組みが始まり、6年間で全て実現することができました。
国会質問にも文教科学委員会や厚生労働委員会で行われる委員会質疑、本会議で行われる代表質問などいろいろな種類があります。その中でも花形と言われるのが毎年の予算を審議する予算委員会での質問です。政策が実現するかしないか、この予算委員会の論戦で決まります。
2005年3月4日にこの予算委員会での質問の機会を頂きました。時間は10分。限られた時間で何をどのように聞くか、何度も何度も原稿を練り直し、原稿が出来たのは当日の朝でした。出来上がった原稿を手に予算委員会が開催される参議院第一委員会室に向かいました。
質問は、女性専用車両の導入と文化芸術の振興に絞りました。女性専用車両の導入については北側国土交通大臣から前向きな答弁を頂きました。そしていよいよ小泉総理(当時)に、文化芸術の振興についての見解を問いました。
総理からは、子どもの文化芸術体験活動について、前向きな答弁を頂きました。
これにより、さらに予算を増やすことができ、次年度以降の予算拡充に拍車がかかりました。
質問は大成功でした。
私は、この6年の内、実に5年間、文教科学委員会のメンバーとして様々な法案の審議にあたってきました。文教科学委員会が担当するのは、省庁では、文部科学省、文化庁。政策は幅広く、教育、文化芸術、科学技術などが担当分野です。具体的には、バレエから宇宙ロケットまで扱う委員会です。この委員会で私は22回にわたって様々なことについて質問をしました。
特に、学校にアーティストが来て、子どもたちの目の前でパフォーマンスをするという「本物の舞台芸術体験事業」の充実のため何度も質問しました。当初は、全国で402校しか行われていなかったものを、平成21年度では1330校まで3倍に増やすことができました。しかしそれでも、全国の小中学校は約3万3000校ありますので、別の事業と合わせても小学校から中学校在学中に1回みられるかどうかです。今後は、少なくとも年1回、全ての学校で子どもたちが本物の舞台芸術に触れる機会を確保できるよう取り組んで行きたいと思います。
また、国立美術館、博物館が高校生から入場料をとっていることを知り、無料だとばかり思っていた私はびっくりして無料にするよう質問しました。時間はかかりましたが、2008年4月から国立美術館、2009年4月から国立博物館のそれぞれで高校生とフリースクールなどに通う18歳未満の方の入場料の無料化を実現しました。この無料化は現在、常設展に限られていますが、これも全ての展覧会で実現できればと思っています。
私は2006年9月から1年間、厚生労働委員会の理事をさせていただきました。この時はちょうど年金記録問題が起こり、委員会の運営が非常に大変な時期でした。
この委員会の審議の中で社会保険庁の数多くの不祥事を知ることになり、委員会で厳しく追及しました。
私が難病対策に関わるきっかけとなったのもこの厚生労働委員会の理事をしていた時期でした。
厚生労働委員会の理事懇談会で、政府へ処理を求める請願(国民が国政に対する要望を直接国会に訴えるもの)案件を決める際、一つの請願が私の目にとまりました。それがFOP(進行性骨化性線維異形成症)の難病指定を求める請願でした。この時の議論で私は、この請願を取り上げるようにと主張しました。この時は、資料を検討してそのように主張したのですが、その後、私がこの難病に深く関わるとはこの時はまだ分かりませんでした。
その後、いわゆる難病指定の対象疾患選定が大詰めを迎えようとしていたとき、一人の患者のお子さんとそのお母さんと知り合いました。その子の名前はいっくん。その後、私が深く関わることになる、FOPの患者さんです。
このいっくんの声を厚生労働省に届けようと、いっくんとお母さん、患者団体の方々、そして赤松正雄衆議院議員、山本香苗参議院議員とともに、石田厚生労働副大臣に2007年2月9日に申入れに行きました。
石田副大臣からは「よく検討して、しっかりと取り組んでいきたい」とのお返事を頂き、心強く思いました。難病指定は、厚生労働省に設置された専門家で構成する検討会で最終的に結論が出されます。その検討会が3月12日に予定されていました。この検討会の開催まで、各方面に働きかけ、FOPの難病への指定を訴えて回りました。
そして、3月12日、厚生労働省の検討会でどの疾患を難病に追加するか検討が行われました。その会議の結果、対象疾患にFOPが選ばれたのです。厚生労働省から難病指定決定!の一報が入り、すぐに患者団体の方々に連絡し、難病に指定されたことをお伝えしました。皆さん本当に喜んで下さり、FOP対策の第一歩を記すことが出来ました。いっくんのお母さんも本当に喜んで下さいました。
私も本当にうれしくて、うれしくて、事務所に来られたいっくんのお母さんと抱き合って喜びました。その時、改めて「一人の人を大切にし続ければ必ず人のお役に立てる仕事なんだ」と国会議員という仕事の力と素晴らしさを実感しました。これが私の政治家としての一つの原点となっています。
今、私は、いっくんのお友達が作っている「いっくんおまもり隊」の「広報大臣」をさせていただいております。
私が直接できることは何かないかと思ったときに、私が主宰する劇団の子どもたちと交流をして、いろいろなことを子どもたちが本や教室だけではなく、心で学び取る機会を作ることだと思い、神戸の客船コンチェルトでいっくんを励ます会を催しました。この交流で、子どもたち一人一人がいろいろなことを心で体験し、学び取ることができました。これからもいっくんをはじめとする患者の皆さまの為に力を尽くしていきたいと考えています。
参議院の独自性はどこにあるのか? それは政府の働きをチェックする行政監視機能にある、とされています。その役割を担うのが行政監視委員会です。参議院は任期が6年間ありますので、長期的な視点から政府の働きをチェックすることができます。私はこの委員会のメンバーとして政府に様々な指摘をしてきました。
その指摘の1つに国会議員の選挙経費のムダ遣いがあります。国会議員の選挙には、約570〜700億円の費用がかかっていました。このような多額のお金の中でムダがないのか調査をしてみたところ、支出の基準となる法律と実態の間で様々なズレが生じていることが分かりました。それを2006年6月12日の委員会で質問し、実態調査をすることを総務省に約束させました。 そして、その調査が初めて行われた結果、法改正につながり、衆議院、参議院合わせて88億2100万円のムダ遣いをなくすことが出来たのです。また、この実態調査が継続的に行われ、今年(2010年)の通常国会にも法案が提出され、衆参合わせて164億5000万円の経費が削減されることになります。前回の改正と合わせると252億7000万円のムダ遣いを削減することができます。
1回の質問で252億7000万円のムダ遣いを削減できたことは私に国会質問の力の凄さを改めて教えてくれました。
私は議員になる前、香港ロイヤルバレエ団、米国デイタンバレエ団でプリマバレリーナとして踊らせて頂いておりました。その経験から日本のバレエをもっと振興したいと考え、国会で質問をさせていただいておりました。質問を終えた後、小坂憲次文部科学大臣(当時)から、「バレエを振興するための議員連盟を作ったらいいのではないですか?」とアドバイスを頂きました。議員連盟とは、政策を実現するために議員が集まって作るもので、議員連盟が中心となり議員立法が出されることもあります。
そこで、多くの方にご協力いただき、バレエ文化振興推進議員連盟を設立することとなりました。名誉会長には森喜朗元総理、会長には浜四津敏子公明党代表代行、幹事長には馳浩文部科学副大臣(当時)になっていただき、私が事務局長という体制で、2006年5月22日に設立総会を開催いたしました。この総会をスタートに7回にわたり勉強会、視察等を行い、新国立劇場バレエ研修所の定員倍増、海外で活躍する日本人バレエダンサーの里帰り公演「バレエ・アステラス☆2009」の開催などを実現することができました。
実は、海外で活躍している日本人ダンサーが帰国した際、日本では踊りたくても、そのような舞台がなく、世界で磨いた踊りを日本の方々に見ていただくことができませんでした。そこで、せっかく日本の素晴らしいダンサーがいるのだからと作ったのが、この里帰り公演です。このバレエ・アステラスは昨年(2009年)8月9日に開催され、ご来場の方々から大好評を頂くことが出来ました。2回目も今年(2010年)8月1日に開催される予定となっております。今後も、バレエ文化の振興のため全力で取り組んで行きたいと考えております。
国会議員として具体的に政策の細部に関わっていくことができるのが、各省庁の大臣、副大臣、大臣政務官です。
私は、2008年8月に福田改造内閣の成立に伴い、文部科学大臣政務官の役職を拝命いたしました(2008年9月の麻生内閣においても再任していただきました)。
担当は、文化芸術、科学技術、学術等となり、私が議員として取り組んで来たことをそのまま担当させて頂けることとなりました。
大臣政務官としてまず私が取り組んだことは、かねてから進めてきていた美術品の国家補償制度の実現です。美術展を開催するために、海外から美術品を輸送しますが、その際の保険料が、9.11同時多発テロの影響と美術品自体の価格の高騰により、非常に高額となり、その負担で美術展の開催が難しくなってきています。この負担を軽減する制度として各国が導入しているのが国家補償制度です。これは保険の代わりに、事故が起こった際に国が補償するという制度です。
実はG8の中で日本とロシアだけがこの制度を持っていません。この制度の導入については2008年6月3日に参議院文教科学委員会で質問し、池坊文部科学副大臣(当時)から前向きな答弁を頂いていました。今度は私が立案する側になってこの制度の実現に取り組むこととなりました。
政務官に就任してすぐ調査研究のための予算を計上するよう文化庁の事務方に指示を出しました。文化庁としても積極的に取り組んでくれ、政府予算に調査費を計上することができました。
この予算で、2009年3月26日に調査研究協力者会議が設置され、7月14日には審議経過報告がまとまりました。この審議経過報告を受けて、法案化の指示を出し、2010年の通常国会への提出を前提に作業が進んでいました。
しかし、4月現在でまだ法案が提出されていません。政権交代の影響で、財務省との調整が再び難しくなっているとも言われています。美術館の関係者の方からは「美術館界の総意」とまで言われている国家補償制度の実現のため、これからも全力で取り組んで参りたいと考えております。
文部科学大臣政務官として取り組んだことの一つにスポーツ競技のドーピング対策があります。ドーピング問題への取り組みを行っていくことは、東京へのオリンピック招致の推進という観点からも重要であると位置づけられていました。私は、ナショナルトレーニングセンターやドーピング検査会社等を視察し現状がどのようになっているのか勉強を重ねました。
そしてWADA(世界アンチドーピング機構)の常任理事として、1年で4回海外で開催される理事会やセミナーに出席し、日本の先進的なアンチドーピング対策をアピールし、海外のスポーツ関係者との関係を築いて参りました。 そのような会合で海外の方々から必ず聞かれることが、日本の文化芸術についてでした。その質問に一つ一つお答えしながら、「やはり21世紀の日本の競争力は文化にこそある、文化芸術の振興は絶対に必要だ」との思いを強くしました。